状態 B 時代を経た掛軸です。本紙にごく小さな薄い染み、表具に焼けがございます。箱に時代相応の染み、傷がございます。 -------------------- 商品状態について
A 完品 (同時代のものとしては状態が非常に良好でとくに問題なし) B 極美品 (若干の染み、しわ、虫食いなどがあるものの、状態が非常に良好なもの) C 良品 (染み、折れ、虫食い、汚れ、直しなどがあるが、鑑賞はできなくはない品) D 参考品 (折れ、破れ、虫食い、汚れ、軸のはずれ等、ダメージが激しい品) --------------------
みどころ◆ 商品【洛座】◆458寸法・詳細
寸法(※各およそ):縦115.5cm 幅58.2cm
本紙 縦36cm 幅49.7cm
詳細:◆ 絹本墨画淡彩 印刷ではありません 時代:明治 付属品:時代箱
◆ 加藤雪窓 かとう せっそう
1872年(明治5)秋田生まれの画家。
名を達也。
旧秋田藩士の家に生まれ、幼いころに父を亡くした雪窓は、漢学に精しい祖父・久恒(主鈴)に育てられました。また、書を大越関石、絵を小室秀俊(怡々斎)に学びました。
廃藩後、祖父・久恒は若くして才気を見せた雪窓とともに秋田を離れ、旅に出ます。書や画を糧にし、酒田、上州、関東などを約7年にわたって旅をしました。そうした後、ふたりは山形の港町酒田に身を落ち着かせ、雪窓はその地で多くの友人を持ったと伝えられています。
1896年(明治29)になると、雪窓は本格的な画の修行のために上京し、当時の日本画界の重鎮・橋本雅邦に入門します。西洋画の影響を受け、新たな日本画の創造を目指す中央画壇の画家たちのなかでも、幼少から鍛錬を重ねてきた雪窓の腕は早くから高く評価され、日本絵画協会をはじめとして、多くの展覧会で賞を受賞し、宮内省の買上げになった作品もありました。1901年(明治34)には一家で東京に家を持ち、画家に専念します。しかし、1908年(明治41)に師・橋本雅邦がこの世を去ると、加藤雪窓は東京から山形酒田へ帰郷します。そして1918年(大正7)に自身が没するまで、その地で画家として生きました。
状態
B
時代を経た掛軸です。本紙にごく小さな薄い染み、表具に焼けがございます。箱に時代相応の染み、傷がございます。
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商品状態について
A 完品 (同時代のものとしては状態が非常に良好でとくに問題なし)
B 極美品 (若干の染み、しわ、虫食いなどがあるものの、状態が非常に良好なもの)
C 良品 (染み、折れ、虫食い、汚れ、直しなどがあるが、鑑賞はできなくはない品)
D 参考品 (折れ、破れ、虫食い、汚れ、軸のはずれ等、ダメージが激しい品)
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写真で詳細写しております。状態は画像をご参照ください。
焼き物類で無傷またはキズ詳細が記載されていない場合はキズ(欠けもしくはニュウなど)があるとご判断ください。 了承の上ご入札お願いいたします。
商品画像について注意事項
商品内容は画像に写っているものが全てとお考え下さい。それ以外の付属品はございません。
年代相応の汚れ、擦れ、小傷等はご了承ください。古いものにご理解あるお客様の入札をお待ちしております。
撮影技術の向上に努めておりますが、照明角度等により、色合い・形状に多少の誤差が生じる場合もございます。ご了承ください。
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